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樋屋製薬旧社屋写真樋屋製薬旧社屋写真

樋屋製薬の歴史 沿革

  • 西暦742年 天平十四年
    遣唐使の時代

    唐へ渡った僧、栄叡と普照が、鑑真和上に仏教の戒律を伝えるよう渡日を要請
  • 西暦753年 天平勝宝五年
    鑑真和上の渡日

    鑑真和上、薩摩坊津の秋目に到着(六回目の試みにて渡日を達成)
    渡来後5年間、奈良の東大寺で過ごす
  • 西暦1510年 永正七年
    鑑真和上が持ち込んだ太鼓から薬の処方発見

    鑑真和上が 持ち込んだとされる
    奈良・東大寺所蔵の太鼓の中より、
    「薬」の処方が書かれた文書が見つかる

    その奇効により「奇応丸」と名付ける

  • 西暦1563年 永禄六年
    創業者一族、坂上(さかのうえ)家、大阪・天満に移住
    ※現在の本社所在地
  • 西暦1622年創業 元和八年
    初代坂上忠兵衛、大阪・天満で「奇応丸」の創製を開始

    当時「奇応丸」は良薬でしたが、貴重な生薬で出来たお薬であったため、非常に高価でした。
    一般庶民にもこの優れた薬を使ってもらいたいとの思いで、粒の大きさを小さくして販売しました。
    小さくしたことにより、乳幼児も服用でき、飲みやすい丸薬は現在までもその特性が引き継がれています。

    樋屋奇応丸 粒の写真
    ▲特撰金粒 樋屋奇応丸
  • 西暦1680年 延寶八年
    大阪天満宮との深いお付き合い

    二代目忠兵衛(善右衛門)、大阪天満宮へご記帳台を寄進

    御記帳台の写真所蔵:大阪天満宮
  • 西暦1724年 享保九年
    社屋 1度目の消失

    享保の大火(妙知焼け)。坂上家建物を焼失
    享保の大火
    樋屋製薬は左上のあたり※御城が大阪城
    燃えた地域に色が塗られている

    出典:
    東京大学大学院情報学環図書室
    附属社会情報研究資料センター
    資料ID: 073
    火之用心 大阪今昔三度の大火(文久三年発行):一部抜粋
  • 西暦1816年 文化十三年
    九代目 樋屋坂上忠兵衛
    九代目 樋屋坂上忠兵衛
    幕府より年寄役を任命

    【袖の梅の家紋に注目】

    梅小鉢

    この梅の家紋は
    大阪天満宮の神紋を特別にご許可いただいた物との事。

    この梅小鉢を家紋と社章(ロゴ)として使い
    明治以降からは真ん中に『樋』の文字を置いたロゴが
    現在に至るまで使われています。
  • 西暦1827年 天保八年
    社屋 2度目の消失

    天満与力、大塩平八郎の乱によって坂上家建物を焼失

    大坂の炎上
    出典:出潮引汐奸賊聞集記/大坂の炎上

    天保の大火
    樋屋製薬は左上のあたり※御城が大阪城
    燃えた地域に色が塗られている

    出典:
    東京大学大学院情報学環図書室
    附属社会情報研究資料センター
    資料ID: 073
    火之用心 大阪今昔三度の大火(文久三年発行):一部抜粋
  • 西暦1854年 安政元年
    十代目 樋屋坂上忠兵衛
    幕府より年寄役を任命
  • 西暦1897年 明治三十年
    近代的な会社の形として出発

    三月、樋屋合資会社を設立(出資金八千円)
    膓胃全治「一道丸」を発売
    ※樋屋は江戸時代ほどからの愛称を会社名に使用
    ※樋屋と名乗った理由は諸説あり

    樋屋合資会社_樋屋奇応丸
    ※合資会社時の樋屋奇応丸

    軒釣梅鉢看板

    ※合資会社時の軒釣り梅鉢看板
  • 西暦1912年 大正元年
    海外への販売拡張を開始
  • 西暦1916年 大正五年
    処方名を正式変更
    「奇応丸」から小児良薬「樋屋奇応丸」に
    (この申請の中に、金箔を新たに加える)
  • 西暦1932年 昭和七年
    昭和5~6年ごろの写真写真:昭和五~六年頃

    ▼出荷の様子昭和5~6年ごろの写真

    昭和天皇・大阪行幸にて、
    「樋屋奇応丸」が賜天覧の栄に浴す。
    樋屋奇応丸御天覧品
  • 西暦1938年 昭和十三年
    国策に順法し、「樋屋奇応丸」は金箔の使用を止め、銀丸に変更
  • 西暦1941年 昭和十六年
    上海に樋屋大薬廠、営業開始(昭和二十年閉鎖)
  • 西暦1943年 昭和十八年
    九月、樋屋合資会社を解散
    十一月、樋屋製薬株式会社を設立(資本金六十万円)
    十三代忠兵衛、取締役社長に就任

    樋屋製薬_樋屋奇応丸
    ※昭和18年~44年までの樋屋製薬樋屋奇応丸
    十二月、強心剤「六神丸」を発売
  • 西暦1944年 昭和十九年
    満州樋屋製薬株式会社を設立(昭和二十年閉鎖)
  • 西暦1945年 昭和二十年
    社屋 3度目の消失

    六月、第二次世界大戦 大阪大空襲により、
    樋屋製薬の本社、工場、生産設備を失う
    (終戦後の、同年十二月に営業再開)

    空襲から10ヶ月後の京橋駅(1946年6月)写真:空襲から10ヶ月後の京橋駅(1946年6月)
    出典:『日本国有鉄道百年写真史』P303

    大阪大空襲_樋屋製薬本社上空
    ▲大阪大空襲 樋屋製薬本社上空
    著作権表示:Template:PD-USGov/ja

    営業再開時の平屋建て社屋

    営業再開時の平屋建て社屋
    十二月、大阪家庭薬協会が設立
  • 西暦1952年 昭和二十七年
    戦後の木造平屋社屋の横にコンクリート社屋を竣工

    戦後コンクリート社屋
  • 西暦1960年 昭和三十五年
    CMソング『樋屋奇応丸』公開

    第1回ABCミュージカル・スポット・コンクールにて制作
    当楽曲は準ABC賞(大賞不在のため繰り上げ優勝)を受賞
    「ヒヤ、ヒヤ、ヒヤの、ひや・きおーがん♪」
    ※CMソングの詳細はこちら
    ▲作曲:越部 信義 氏

    十三代目樋屋坂上忠兵衛
    ※広告に力を入れた十三代目

    樋屋製薬_特撰金粒樋屋奇応丸
    ※昭和35年~47年までの特撰金粒樋屋奇応丸
    樋屋製薬_樋屋奇応丸
    ※昭和39年~48年までの樋屋奇応丸
  • 西暦1968年 昭和四十三年
    韓国、保寧製薬株式会社と技術提携を調印(平成九年提携終了)
  • 西暦1972年 昭和四十七年
    瑞宝章

    ▲坂上忠兵衛 勲章「瑞宝章」を賜る


    ▼社屋の第3期工事完了時

    旧社屋
  • 西暦1974年 昭和四十九年
    台湾に樋屋製薬股份有限公司を設立(平成十年閉鎖)
  • 西暦1985年 昭和六十年
    樋屋製薬販売株式会社を設立(資本金一億円)
  • 西暦1992年 平成四年
    大阪府大東市に、新工場および商品管理・配送センターを設立

    樋屋製薬 新工場/樋屋奇応丸 商品管理・配送センター

    十三代目樋屋坂上忠兵衛
    平成の頃のCM
    樋屋奇応丸CMソングと共にブリキのおもちゃが動く
  • 西暦1994年 平成六年
    樋屋製薬販売株式会社から樋屋奇応丸株式会社に社名変更
  • 西暦1996年 平成八年
    本社新社屋が完成
    竣工式を行う

    新社屋
  • 西暦2009年 平成二十一年
    「ひやきおーがん糖衣」を発売
  • 西暦2011年 平成二十三年
    大幸薬品株式会社と業務提携開始(平成28年5月18日に契約満了)
  • 西暦2012年 平成二十四年
    二月、樋屋製薬(香港)有限公司を設立
    三月、創立390年を迎え、本社敷地内に大阪天満宮の分社と鳥居を建立
    合わせて鎮座祭を行う

    樋屋製薬神社
    四月、樋屋通商香港有限公司を設立
  • 西暦2022年 令和4年
    創業400周年を迎える。
現在に至る




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