谷内六郎先生が描いた樋屋奇応丸TVCM 3部作を公開

牛、地蔵、たき火

樋屋奇応丸は今日に至るまで、様々な広告手法を用いて、広告を展開してきました。
今回、その中で週刊誌「週刊新潮」の表紙を創刊号から26年に渡って飾った画家、
谷内六郎先生が制作に携わった樋屋奇応丸のTVコマーシャル、3点を公開いたします。



【知る・楽しむ】テレビCM・CMソング
https://hiyakiogan.co.jp/content/tvcm/tvcm_song/

樋屋奇応丸TVコマーシャル
(谷内六郎 画)3部作

樋屋奇応丸CM「牛」15秒
谷内六郎 画

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樋屋奇応丸CM「地蔵」15秒
谷内六郎 画

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樋屋奇応丸CM「たき火」15秒
谷内六郎 画

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谷内 六郎 先生について

出典引用:横須賀美術館/谷内六郎館ページ
https://www.yokosuka-moa.jp/taniuchi/

1921年東京恵比寿に9人きょうだいの6男として生まれる。小学校卒業後、新聞雑誌に漫画や挿絵を投稿し始める。1952年頃から兄が経営する染色工房「らくだ工房」でろうけつ染めのハンカチや帯などの布製品を制作する。1955年第1回文藝春秋漫画賞を受賞。翌年、雑誌『週刊新潮』の創刊と同時に表紙絵を描くこととなる。1971年に横須賀市の観音埼灯台で1日灯台長をつとめ、1975年には横須賀市にアトリエを構える。広島の呉市広中央中学校養護学級「たけのこ学級」や静岡県の「ねむの木学園」と交流し、福祉活動にも力を注いだ。1981年1月に急性心不全のため亡くなるが、その時点で『週刊新潮』表紙絵は1303枚となっていた。その後、未発表作品などでこの年の最終号まで表紙を飾ったため、合計は1335枚となる(創刊号の原画を再使用した通巻1000号は除く)。谷内は25年の間表紙絵を描きつづけ、表紙を飾った期間は足かけ26年にわたる。


CM制作秘話

谷内六郎先生の直筆の演出メモが書かれた原画を特別にご許可いただき、公開いたします(横須賀美術館所蔵 ©Michiko Taniuchi)。
この書き入れから、六郎先生が動画を想定して、動きの演出を考えていたことがわかります。

牛(春編)


春編(牛編)原画
春編(牛編)トレーシングペーパー

地蔵(夏編)


夏編(たき火編)原画
夏編(たき火編)トレーシングペーパー一部
※全体より一部抜粋
夏編(たき火編)トレーシングペーパー一部
※全体より一部抜粋
夏編(たき火編)蝉
※一部抜粋
夏編(たき火編)裏面

たき火(秋編)


秋編(たき火編)原画
秋編(たき火編)トレーシングペーパー



谷内六郎先生のお嬢様より、このCMについての思い出を教えてくださいました。

父から直接、樋屋製薬さんのCMについて聞いた記憶はありませんが、母が、
樋屋製薬さんのCMを指して「おもしろいCMができたみたいよ」と言っていたのを覚えています。
関東では放映されず、見られないのを残念に思っていましたが、
1976年ごろに親戚と一緒に京都に泊まった時に、偶然宿のTVで見ることができました。

「わ~、やってる!」と興奮しながら見たことを覚えています。
原画カバーへの書き入れやCMを改めて見ると、きっと父は、楽しみながら取り組んだのだろうと思います。


横須賀美術館-谷内六郎館-のご紹介


横須賀には谷内六郎先生がアトリエを構えていたこともあり、そうした縁で、横須賀美術館にご遺族から『週刊新潮』の表紙原画約1300点をはじめとする膨大な数の作品や関連資料が寄贈されたとの事で、
横須賀美術館には谷内六郎先生の作品を展示する谷内六郎館が常設しています。

この機会により詳しく谷内六郎先生の作品に触れてみたい方は、訪れてみてはいかがでしょうか?


◆ 横須賀美術館 ◆
〒239-0813 神奈川県横須賀市鴨居4丁目1
横須賀美術館
▼公式ホームページはこちらから
https://www.yokosuka-moa.jp


◆ 谷内六郎館 ◆
横須賀美術館 併設
谷内六郎館
▼公式ホームページはこちらから
https://www.yokosuka-moa.jp/taniuchi


掲載に関して

このCMが公開に至れたのも、谷内六郎先生のご家族の方にご許可いただいた事、
また、横須賀美術館様に間を取り持っていただき、実現しました。


この場でも、重ねてお礼申し上げます。